4歳8ヵ月の女の子のママからの相談
うちの子は、少し歩くとすぐに「抱っこ」を迫ってきたり、自分でできるようなことでも「ママがやって」と言ってきたり、少し甘えん坊なところがあります。先日、実家に帰った時に娘とのやりとりを母が見ていて、「少し甘やかしすぎじゃないの?」と指摘されました。下の子が生まれてから甘えることが増えた気もしていて、「甘えさせる」ことも必要なのかなと思っていたのですが、「甘やかし」と言われると娘のためにならないような気がしてとても葛藤してしまいます。どこまでが甘やかしで、どんなことなら受け入れても良いのか、ぜひアドバイスをお願いします。
ご相談ありがとうございます。
甘えさせることと、甘やかすこと。
確かに線引きが難しいですよね。
特に、子どもを甘えさせると自立心が育たないのではないか、周りの人からどう思われるだろうか…と心配になる方もいらっしゃるかもしれません。
そんな甘えと甘やかしについて、今回は一緒に考えてみたいと思います。
「甘える」っていけないこと?
「また、ママにやってもらうの?」
「◯◯ちゃんはもうお姉さんのはずなのに、いつまでも甘えん坊だねぇ」
そんな言葉を耳にしたことがあります。そしてその言葉には、いい意味が含まれていないように感じることが多いです。
それはなぜでしょうか。
もしかしたら、甘えるという行為に、あまりいいイメージを持たない方も多いかもしれません。
しかしわたしは、子どもが大人に対して「甘えることができる」ということ、そして大人がそんな子どもを「甘えさせてあげる」ということができる関係は、とてもいいなぁと思います。
そもそも子どもたちにとってママやパパに「甘える」ということは、愛情を求める行為のひとつです。そして、そんな子どもの想いを受け入れるということは、親が子どもの想いを受け止めているということだと思います。
「甘え」という言葉に変わるだけで、それは何だかいけないことのように感じてしまいますが、子どもたちが自分の欲求(想い)をきちんと出すことができ、その欲求を受け入れてもらうという経験は、とても大切な経験だと言えると思うのです。
子どもたちはそんな関係のなかで、気持ちが満たされるという経験をし、人に愛される、人を愛するということを実感したり、自分自身にも愛情を持ち、また自信を持って自己肯定感を育んでいく。
そう考えると、甘えるという行為の見え方が変わってきますよね。
甘えさせることと甘やかしのちがい
では、甘えさせることと甘やかしのちがいはなんなのか。
わたしは、「甘える」ということが愛情を求める、情緒的欲求であるのに対し、「甘やかし」は子どもも大人も対価を求めるような、物質的欲求であるといえると思います。
例えば、甘やかすとは「これ買ってあげるから、静かにして」、「こんなところで泣かれると困るから◯◯してあげよう」という都合があったり、子どもから欲求がないのに、過剰に大人側が施すこと。
今回の相談者さんのお子さんのように、自分でできることを「やって」とお願いしたり、大きくなっても「だっこして」ということを受け入れることは、一見“甘やかすこと”なのではないかと思われがちですが、これらの行為は、子どもの情緒的欲求なので、甘える行為だと言えると思います。
相談者さんは、その甘えるという行動の裏にある気持ち(下の子が生まれて寂しいのかもしれない)に目を向け、気付いてあげられていて、とても素敵ですよね。
いけないことなんて思わず、めいっぱい受け入れてあげてほしいなと思います。
絶対こうしなくちゃいけない、と思わなくていい
甘やかしは、少ないほうがいいかもしれない。でも子どもと生活していると、どうしても今はこうしてほしいと思うこともあると思いますし、甘やかしと呼ばれる行為で子どもの気持ちを落ち着かせようとすることもありますよね。
絶対こうしなくちゃいけない、という気持ちでもしママ・パパが苦しくなってしまうならば、気持ちに余裕がある日にまずは心がけてみる、でいいと思います。